佐世保南高校 21回生 第2回海外視察レポート 台湾 台北 200 9年3月19日(木)〜22日(日) |
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団長: 山口優親(佐世保) 勝手に指名 |
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1.イントロ 前回と違って、期限切れのパスポートや人相不明のコピーを送ったものも居ないらしい。 問題は、残念ながら前回実現しなかった大串信宣俊君をいかに参加に導けるかである。 それより、早くパスポートを取得することが必要なわけだが、周囲がやきもきするものの、あまり動きが無い時期が続いた。 さて、決起集会を開催した佐世保組では、岡君夫妻が非常に乗り気であると聞こえてくる。 なんでも、奥様(同期の恵子さん)の方がゴルフの腕前は確からしい。 佐世保組は、前回メンバが出そろい、岡夫妻を加えて6名が確定した。 東京組は、いつもの通りマイペースのメンバが多く、「椎葉君が何とかするやろ!」という感じで「お任せ!」を前提の参加姿勢である。 空閑君は中東への出張で微妙だというし、 宮島君は前向きの検討状況、宣俊君は奥さまの同意を得てパスポート入手から、という状況となった。 筆者は、当初予定の2月では、参加が難しい状況であり、その旨を椎葉君に伝えておいたが、大島トマトの本山君の事情もあいまって、3月での実行企画になった。 そうこうしている内に、計画を固める時期が来たが、椎葉企画員が宣俊君へ電話した際、奥様をお誘いしたそうで、話が急展開した。 旅行の初日が奥さまの誕生日だということから、夫婦での参加が実現する話になった。 晴れて、パスポートの獲得である。 という諸々の経緯や調整を経て、総勢12名(内、夫婦2組)のツアーが整った。 |
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2.旅行初日(3月19日 木曜日)
前回どおり、筆者は、朝4時起きで始発(4時50分)の成田行きリムジンに乗り込んだ。 3連休が始まる前日とあって、バスも結構な混み具合である。 約2時間少しかけて7時過ぎに無事成田に着いた。 7時40分集合とあって、まだ誰も来ていない。 そうこうしている内に、空閑君と大串夫妻を遠めに発見、宮島君、続いて世話役の椎葉君が到着して、皆が出揃った。 宮ちゃんが荷物を持っていないと思いきや、スポーツバック1個での3泊4日の海外だと言う。 なんとなく感心させられた。 搭乗手続きを無事済ませ、皆でコーヒーを飲んだあと、免税店で「酒」の買い込みを手分けして行った。 椎葉君と空閑君は普通の焼酎、宮ちゃんは「とにかく度の強い焼酎」、大串君は「日本酒」、池田は「バーボン」となった。 いよいよ機内へ搭乗。 多少、バラバラの席になったものの、そこそこに近い席が取れてのフライトである。 宣俊君はやけに神妙な感じで奥様の指示に従っている。 機中、やはり老後の話なども話題の一つとなった。 三河内の山口君の会社をもう少し事業拡張して「シルバー産業」を興して皆でそこに就職しようとか、大串君の住まなくなった西海町の家を改築して民宿経営をしようとか、あれこれ本人不在の計画が会話された。 約3時間のフライトを経て、無事、台北に到着 。 そこには、既に佐世保組の6名が到着し、久しぶりの再会の挨拶と記念撮影などをしたが、既に結構な大宴会というか酒に浸っている者も居たようである。 それが、誰かはともかく、2日目以降の健康状態の異変に影響するとは、本人(M君)も思って居なかったであろう。
現地ツアーガイドの林(リン)さんが迎えに来た。 迎に来たバスには「飛龍」のロゴが大きく書いてあった。 ゴルフ道具を含めて荷物を積み出発。 街並みは、ある意味、中国本土よりきれいであるが、広告などは「看板」が主体で、ビルの外壁にはやたらと看板が多いところは、台湾らしさが一杯である。 トラックやタクシーなども、昨年怖い思いをした中国本土とは違い、おとなしい(普通の)運転である。
初日から、少し観光が始まる。 街中の治安は、23時までは保証するが、それを過ぎると保証できないそうである。 タクシーは、黄色一色であり、なるべく新しいタクシーを選ぶように注意された。 古いタクシーは、多少マナー教育が行き届いていない昔の運転手らしい。 一番の注意は、パスポートの管理だそうで、有効期限のある現物は、なんと700万円で取引されるそうである。(ホントかな?) 郊外の道路沿いにはツツジの花が沢山咲いていたが、街中に入ると途端に昔の古い建物などが目だって多くなった。
そうこうしている内に、本山君がリンさんから大声で叱られた。 車中でタバコに火をつけたのである。 |
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======================== 寺社内には、男は左足から入り、右足から出るのだそうである。(女性はその逆) 山口君が、「なんで こがん勉強せんばいかんと?」と、とつぶやいた。・・・・
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バスに乗り込み、総督府を車窓に眺めて、次の「中正大公堂」へ向かった。 写真の通り、本当に大きな建物である。 蒋介石に関する記念の建物だそうだが、昔は軍の訓練場があったそうである。 ここでも、着くとすぐに全員での「記念写真」を強制的に撮影させられた。 いつのまにか、龍山寺のおじさんカメラマンが先回りしていた。(笑)
中に入ると、丁度、衛兵の交代式をやる時間だと言う。 |
▲衛兵の交代式と蒋介石の専用車 |
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夕食会場へ 初日の最後は、夕食の楽しみである。 ホテルにチェックインして、迎えに来たバスに乗って夕方の街中を夕食会場まで走った。 そこには、通勤時間帯のバイク軍団が大挙して走っており、日本では見かけることの無い光景があった。
台菜・海鮮料理の「
雙囍門(ソウキモン)」でのでの会食である。 お店に、椎葉君の旧友で東南旅行社の本部長が挨拶に見えた。 カラスミ料理に始まり、えび、カニ、アワビと美味しいものを沢山堪能した。 料理が来て、一つ一つ味わう者も居れば、しゃべりに一生懸命の者も居り、12名ともなるとバラバラの動きである。 本山と鶴田は 相変わらずウルサイ。 紹興酒を10本近くも空けただろうか? 腹いっぱい、いい加減しゃべり過ぎたところで近くにある有名な「土林夜市」(シリンヤイチ)へ出かけることにした。 一同、バスの乗るまでもバラバラと行動。
▲カラスミとカニの料理 |
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■夜市に着くと、ごった返しの大変な人の多さである。 ところどころから日本語が聞こえるということは、この中に相当の日本人が居るということで、見た目には全く現地の人と見分けがつかない観光人が来ている。 怪しげな店も多く、下着屋やクツ屋が多い。 狭い通りも左側と右側に分かれて歩く方向を変えないといけないので、同時に右や左の店を行き来するのは難しい局面もあった。 40分間の見物時間も終わる頃、たまたま、椎葉君、大串夫妻、空閑君が買い物をしている店に出くわした。 キーホルダーを買っている。 そこで1個350元(約千円強)のものが、3個で500元(1500円)というところまで値切ったそうであった。 皆が買ったので私も3個(500元)で買って喜んだ一人である。 夜市の出口で得意げに、値切ったことを大串君の奥さんが話したら、リンさんが、一言 「それは1個150元(450円)で売ってますよ!」。 沈黙・・・。
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[ホテル情報]
城市商旅(シティースイート) 現代的でデザイナーズ・ホテルと言うことで大変きれいではあるが、洗面台と化粧台が部屋の左右に分かれており、使い勝手は悪かった。 カーテンや扉を開けば風呂場が丸見えの作りは、若者のカップルには大ウケだろうが、ゆっくり湯船に浸かりたいオジサンには、どうしたもんだろう?? ホテルに戻ったのは、夜の21時過ぎ。 朝4時に起きてきたせいもあり、早々でシャワーを浴び、寝ることにした。 同室の宮ちゃんのイビキが結構うるさかった。 朝食時は日本語が飛び交っていたので、宿泊客はほとんどが日本人のような感じがした。
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3.旅行2日目(3月20日 金曜日)
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長庚ゴルフクラブ
今日は、最初のゴルフのプレー日である。
バスが迎に来た、なんと何十人も乗れる大型観光バスなみである。 |
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途中、東京から来た、大串、宮島、池田の3名は、貸しクラブ屋に立ち寄ってレンタルをした。
無事、ゴルフ場に着いたところで、本山君が騒ぎ出した。 何事かと思えば、着替えを一式ホテルに置いてきた様である。 「預けろ!」と誰かが言ったことに反応して、バスに預けずに
着替えをホテルに預けたという。 |
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まだ厦門(アモイ)のキャディーの方が面白い分、存在価値があったように思える。 4人がそれぞれ名前を確認されたとき、空閑君の呼び名 「クガ」に、キャディが反応した。「クガ」というのは、男の急所ということらしい。(空閑君も承知の事だったようだが・・)
グリーン上でのボールマーキングも全くのいい加減で、マークを差さずに置いただけでボールを操作する。
「キャディー様のOK」を出してボールを拾い上げてしまう。
そんな中、ゴルフに神経が集中しなかった人物がある。 忘れないのは、スタートホールのフェアウェイ中央に「お墓」が有った事。 案の定、お墓に行った私のボールは、ノーペナルティで外に出された。
3位は同じく佐世保からクラブ持参の山口君となった。
椎葉君の「太っ腹」が出た。 |
▼ 長庚ゴルフクラブにて
(ゴルフの詳細は、 残念ながら記憶に無い) *詳報をしたくないほど、スコアにならなかった
ということで・・・(池田) |
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■ゴルフも何とか無事終わり、遅めの昼食会場にバスで移動することになったが、ゴルフ場の出口で、 |
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■遅めの昼食をする会場の飲茶の店に着いた。
「鼎泰豊(ディン タイ フォン)」という日本でも小籠包で有名な店の本店である。 順番が来て案内され、二手に分かれてテーブルに座った。 結果を見ると、岡夫妻、大串夫妻、そして、本当は仲の良い鶴田と本山の6名。 その他のメンバで他のテーブルを囲んだ。 色々の種類の小籠包が出てきて、大変美味しかった。(感謝) その店でも、隣のテーブルに日本人の若い女性二人が食事をしており、お互いに写真を撮り合っているので、佐田君が声を掛けて二人揃った記念写真を撮ってあげた。(オジサンは親切) ■ゴルフ終了後、マッサージへ 少し太めであるが、若いのが良い。 (空閑君はオバちゃん技術者が担当している) もっとも2時間もマッサージするのだからある程度の体力が無いとダメだろう。 今回のマッサージは、頭部はそこそこで終わり、リンパの部分を中心のマッサージが特長で、蒸しタオルを沢山使って顔・首や肩や腰をマッサージしてもらった。 値段は、2時間で六千円なり。 ほぼ同時に始めた全員が揃って、気持ちよくホテルへ帰還した。
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【夕食会場へ】 ここでも個室が用意され、12名での宴会が行われた。 ガイドのリンさんも居るが、一緒に食事を勧めるが「仕事中」ということで、色々と世話をするだけである。 ここの料理も大変美味しい。 これだけの料理が出て、一人4000円だという。 その後、椎葉君、山口君、大串夫妻、宮島君、池田の6人で二次会のスナックへ。 山口君は日本で懸命に練習してきたという中国の歌を熱唱。 大串夫人も夫婦で一曲披露したものの、宣俊君は結構大人しくしていた。 一番熱心に歌ったのは宮ちゃんか? 私もアニー(安妮?)ちゃんのご希望で河島英五を歌った。 椎葉君は、チーママらしきお方と「あっち向いてホイ」で連勝し、結構お酒を飲ませていた。(飲みたくて、相手が負けたのか?) 今日も、一日が充実して終わりとなった。
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4.旅行3日目(3月21日土曜日)
今日は、一日を通して「観光」の日である。 故宮博物館、観光地 「九份(きゅうふん)」を訪ね、その後で買い物ツアーとなる。 朝8時30分にバスでホテルをスタートした。 車窓から見る朝の町の様子は、市場の様子や店の前の粗末なテーブルで朝食を取る地元の人たちが賑やかである。 日本では、見かけない風景である。 相変わらず、バイク(ゲンチャリ)軍団がバスの周りに集団を作っている。
「忠列祠(ヂョンレイツー)」は、辛亥革命をはじめとする一連の革命、戦争で亡くなった約33万人の英霊が祀られているそうだ。 ここでも、衛兵の交代式が有名で観光名所となっている。 リンさんからは、警護中の「衛兵にさわるな! 記念撮影はして良い」との注意事項が言い渡された。 9時の開門を前に、既に人だかりがしていた。 門の左右に若い衛兵が不動の姿勢で警護をしているが、右側の若者が微妙に揺れているのが面白かった。 開門と同時に始まった交代式は、初日に「中正大公堂」の交代式を見ていたせいか、今日はメンバの多くが比較的関心度が高まっていない。 佐田君と大串夫人だけが、一番奥まで観光に行ったようでなかなか戻ってこなかった。
■さて、次の観光は「故宮博物館」である。 ガイドのリンさんは、今日も朝から口が滑らかである。 移動のバスの中でリンさんの経歴を解説してくれた。 台湾では徴兵制度があり、リンさんも2年間の海軍生活を経験したそうで、その間の苦労話を聞いた。 軍艦の狭い五層ベッドでの生活や、2年間も女性を目にしなかったこと、除隊して一気に10キロの体重増となったことなど、興味深い話であった。 15分ほどで山の中腹に博物館が見えた。 既に、大型バスが大挙して乗り込んできている。 台湾では3連休ではないが、日本と中国は三連休と言うことで、観光客が多くなっているとのことであった。 館内について、皆で無線装置の「オーディオ・ガイド」を借りて、リンさんの文化財ガイドを聞きながら見物をした。 リンさんは、要所要所で貴重な物を選択して案内してくれており、時間内で大まかに20点ぐらいの紹介をしてもらった。 いずれも、故宮博物館の宝物である。 しかし、その宝物の小ささと匠の技には驚きの反面、見物のしづらさが印象となった。 見学が終盤に差し掛かる頃には館内はさらに人が増え、日本語や中国語が氾濫してきた。 これまで、日本人が来館のトップを維持してきたそうだが、先月には中国が第一位になったそうで、やはり中国経済の成長が博物館来場者数に明らかに現れてきたという記事があった。 ちなみに、館内は撮影禁止のため、記念のスナップが撮れなかったが、1階のみやげで小物を購入して見学が終わった。 |
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■九份(きゅうふん)へ 学習情報によると、九份は20世紀の初めに金の発掘でゴールドラッシュとなった町であり、89年に台湾の侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督が「悲情城市」で金獅子賞(グランプリ)を受賞した舞台の町だというが、日本ではむしろ、宮崎アニメの「千と千尋の神隠し」「ハウルの動く城」のモデルとなった建物がある町という方が分かり易い。 実際、宮崎監督は、この地に長期滞在して原稿を書いたそうだ。 故宮博物館を出て、バスで一時間もかからないところにある。 途中、旅行会社のチャーターバスに揺られながら感じるのは、ボコボコした路面のひどさである。 加えて、昨日のバスと違って少し古いこともあって眠ろうにも眠れなかった。 目的地の九份には、一般の車が入れないので、途中で専用バスに乗り換えていく必要がある。 時間帯の設定もよく、乗り換えたバスも他の客が居ないまま「専用バス」となった。 約10分で目的地に着いた。 ■目的地となる中心部までは徒歩で坂を上っていくが、リンさんの計らいで比較的なだらかな道を登っていくコースを設定してくれた。 天気も良く、少しハイキング気分になる。 途中、軽トラックの荷台で豚をさばいている光景が有ったが、もともと冷凍肉を食べる習慣が無いそうで、肉は生肉を売りに回るのだそうだ。 これも日本では見ない光景だと思う。 しばらく歩いて、急に人が多くなった。 目的の観光地への到着であるが、到着と同時に予約してあったレストランで昼食となった。 ここでもビールと紹興酒を軽くいただくことになる。
レストランのテラスからは、金鉱の有った山や遠くの海が見渡せるが、霞んでおり海の方は良く見えなかった。
街全体が色鮮やかな赤い旗や看板などが特徴的である。 それぞれに記念撮影などして自由行動となったが、少し上がったメインのお土産通りは、「豆腐よう」や「しょうが飴」など色んな物が売っており、辺りには異臭とも言える匂いがした。 リンさんによると「お茶だけは買うな!」ということであり、ここで売っているお茶は「ベトナム」から持ってきた物だと言う。 ここでも大串夫人は、色んなお土産を調達していました。 ひと通りの自由時間を満喫して九份をあとにすることになったが、我々が帰る時間になって、九份へ向かう専用バス乗り場が長蛇の列となっている。 このあたりの時間設定やコース設定は、さすがに旅行社の腕であろう。
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▲九份の街並み
▲金鉱の山を背に
▲非情城市の舞台となった坂道
▲千と千尋のモデル 阿妹茶楼
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★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ |
[免税店へ] 台北市内に戻ってきた。
予定通り最初の免税店で「台湾茶」を入手するのが目的であるが、値段を見て「台湾茶」を見直しさせられた。
推奨の「高山茶」は300グラムで1万円以上する。 結局、150グラムを2個買った。
その他には、ドライフルーツやカラスミも購入し、お土産が揃った。
他には、「金髪水晶」という勘違いしそうな名前の二酸化チタンが含まれたパワーストーンが有名で、大串君や佐田君は購入したようである。
特に大串君は腰痛持ちであり、奥さんから積極的に進められて購入。
これで腰痛も全快するかもしれない。
店の回し者ではないと思うが、ガイドのリンさんは、自分が持っている金髪水晶原石を取り出しては、しきりにパワーストーンの効力を説いていた。
次は、市内のデューティーフリーへ出かけた。
それぞれが1時間ほど自由に買い物を楽しんだようですが、個人的には「ウィンドウ・ショッピング」で終わりました。 |
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[夕食へ] 最後の夜は、四川料理へ行くことになった。 迎えのバスで「荷風中国菜」(HE FENG ZHONG GUO CAI)に着いた。 店は、どちらかと言うと住宅街の中にあった。 この日のために、椎葉君が日本から事前にお品書きのメニューを準備させておいたようで、写真のメニューがテーブルにセットしてあった。 いつもの通り、ビールや紹興酒が進む中、宮ちゃんは、成田で買ってきた度の強いお気に入りの焼酎をペットボトルに入れて隠し持ってきており、「拍手」ものである。 さすがにこの量の料理は食べ切れなかったが、正直、この旅行の中で個人的には、ここの食事が一番だったと思う。 宣俊君は、少し疲れが来たのか、食事の途中で奥さんに食材の質問をした。 「緑で 中身が無く 炒めて細切りして マヨネーズで食べるものって 何だっけ?」と・・・ 「ピーマン」が思い出せなかった大串君は、自分がピーマンになった。(大笑)
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5. 旅行4日目(3月22日 日曜日 帰国)
いよいよ帰国に日である。 今日は、2回目のゴルフ組と2回目のマッサージ組に分かれた。 ゴルフ組7名は、早朝6時半に「美麗華ゴルフクラブ」を目指した。 ■その他の5名は、結局、2回目のマッサージに行くことにし、9時にお店からの迎えの送迎車を待った。 今日は、時間も無いので90分コースを申し合わせての店入りとなり、前にやってくれた「技術者NO 93番」を指名したが、今日は来ていないと言う。 結局はお任せのマッサージとなった。 宮島、空閑、池田の男性3人は、一部屋に3人並んでのマッサージとなり、大串夫妻は別室となった。 指名が出来ないままに、「技術者」の登場である。 まず、空閑君の技術者は、30才台と思える普通の感じである。 次に、私のそばに少し年を重ねた風の体格の良い女性(おばちゃん)が来たが、てっきり店のマネージャーか何かで「仕切り」に来たと思った。 ところがどっこい「技術者」だった。 どう考えても40才代後半だろうか? 最後に登場した20才台のきゃしゃな感じの「技術者」が宮ちゃんの担当になった。 結局、部屋の一番奥に行った者から、順番に年功序列の技術者配置になった訳だが、これからは、一番入り口に近い方が良いかもしれない。 台湾式マッサージの全てがそうかどうか分からないが、ここでは、途中で天井に有る手すりを持ちながら、技術者が身体の上で足踏みをする。 おそらく、キャシャな技術者では宮ちゃんは物足らないなと思いつつも、サルの綱渡りのような足マッサージ芸を眺めていた。 担当者の重力には少し「きつ過ぎ」と思ったのは私本人しか分からない。 とは言いつつも、さすがに年の功、マッサージ技術は非常に長けており、痛いところを言うと悪いところのご指導を聞くことが出来た。 私の病名は、「坐骨神経痛」の疑いとなった。 (技術者NO 101に感謝) 5人で、無事に90分コースを終了し、お店が用意したタクシーでホテルへ戻った。 |
▼美麗華ゴルフクラブにて
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■ホテルをチェックアウトし、昼食会場に行く途中のバスの車窓から見た山は、郷里の「西の岳」(隠居岳)に似ていた。 最後の食事会場となるが、宿泊したホテルのチェーン店になるのか、同じホテル名の宴会場で待ち合わせをして、皆で昼食の予定である。 待つこと30分でゴルフ組が到着。 早速、地下の宴会場に移動したが、いつものパターンで本山君が現れない。 団体行動のマナーを無視して、後で入館した彼は、他の団体と一緒に違う会場へ行った。 ここでは、控えめに紹興酒は2本だけだったような気がする。 会場には、色んな団体客が食事をしており、すぐ隣で騒ぎながら食事をしている団体を指して、リンさんが「香港人」だと教えてくれた。 最後となるが、椎葉君はさすがである。 リンさんへの感謝としてチップを差し上げた。 多分、チップとしては多額になるとは思うが、それに見合う対応をリンさんにはしてもらった気がする。 早朝から夜遅くのホテルへの送りまで、4日間の苦労を掛けたリンさんに感謝である。
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▼ 空港にて 最後の昼食も豪華に終わり、一路、空港へ向かった。 連休の最終日でもあり、受付カウンターが混んでいた。 佐世保組とは、搭乗手続き後に別れ、3時間後に無事成田に帰還した。
そんなこんなの「佐南21期生 第2回海外視察 台湾編」も無事終了しました。 食事、観光、色々と楽しく優雅な旅行を楽しんで過ごせた「第2回海外視察」のレポートであったが、
最後に、旅行社の社長としてではなく、同級生として色々と対応してくれた椎葉君に感謝したい。 次回は、本当にタイになるか、またまた別の国に?? |